私は理学療法士ですが、小学校のころのアルツハイマー型認知症の祖母の在宅介護から始まり、祖父も認知症となり、十数年の在宅介護補助経験もあったため、認知症の家族介護者をテーマに実践や研究をしてきました。
今日はそんな私の回想です。
小学生・・祖母が認知症となる
もう昔のことなのでうろ覚えなのですが、いきなり警察が家に来て騒いでいた記憶があります。
おそらく祖母が自動車を運転でこすってしまい、そのまま帰ってきてしまった・・・みたいなことだったかと思います。
そこから受診につながり、アルツハイマー型認知症の診断を受けました。
そのころはまだ、介護保険制度が始まったばかりで色々と整っていなかったときかと思います。
当時はいろいろとわかっていなかったので、認知症というものは「少し忘れっぽくなるけど、身体が強くなるもの」だと本気で思ってました。
というのも、レンジがうまく使えなかった祖母が沸騰しかけた牛乳を飲もうとしていたり、賞味期限がどうかというものを食べようとしていたり、ずっと歩いていても疲れた様子も全然見せなかったり、まあ色々とあったからです。
おばあちゃんは無敵になったんだ。と小学生ながら思ってました。
とある日、学校から帰ると、「ぽてと~」とおばあちゃんが言っており、なんのことかと思ったら私の名前がいつの間にかぽてとになっていたようです。
「ぽてと~お帰り~」とよく言われていました。
まあ、確認したらその時好きだったのがぽてとだったので、好きなものということだったと解釈しています。
この時の私は、家での見守り要員でした。
中学生・・祖父が認知症となる
祖母の自宅での介護生活が終わり、父が葬儀で「私はおふくろのことが大嫌いでした。」と涙ながらにスピーチしていたことは印象的に覚えています。
親子の歴史の中で、色々とある中で続けられた介護。
それを支える(私の)母親。
姑なので、色々あったはずですが、本当にすごいです。
祖母を看取ったあと、追いかけるように祖父に異変がみえはじめ、同様にアルツハイマー型認知症の診断を受けました。
祖母は外交的、祖父は内向的で、祖母は外に独り歩きに行ってしまうことが多かったのですが、祖父は家の中をひたすら歩きまわっていました。
性格や生活様式がこのように表れるのだな、と感じた瞬間でした。
このときは、姉の受験と重なったり、父親が離職したりと、家族の大変が重なった時だったと思います。
祖父は、人とあまり話したりせず、一人で過ごすことが多い人でしたが、寂しいのかよく部屋を訪ねてきました。
ベッド上で過ごすことが多くなってからも、ずっと人を大声で呼んでいたりと、実は寂しかった、ヒトといたかった、愛されたかった人なのかな・・などと子どもながらに感じてました。
具体的エピソードは残念ながらあまり覚えていないですが、結構壮絶だった記憶はあります。
ただ、まあこの時があったから、祖父と話す時間はできたし、認知症という領域に興味を持ち始めたのは確かです。
親をみて、認知症の人を介護する家族の役に立ちたいと思う
今でこそ、認知症の当事者の方々が色々と発信してくれており、ありがたい世の中になっていますが、当時はまだまだだった記憶があります。
もともと心配性だった祖父が、出したごみを確認しに行って、近所から苦情が入り、病気の説明をしてもあまり理解されなかったり、私の両親も本当に大変だったと思います。
何より、祖父母も苦しんでいたと思うのですが、私にとっては両親の方が身近な存在だったので、どうしても両親に肩入れしてしまいました。
祖父母に両親が苦しめられる場面も子どもながらにも見てきましたし、その関係性はアルツハイマー型認知症の診断がついたからと言って変わることはありません。
なんか結局は、人と人との関係性なんだろうな、と思います。
色々な認知症の人やその家族と話してきましたが、認知症というものに左右されず仲良く過ごしている家族もあれば、「昔からこの人は・・・・」と、元々の関係性から、その介護に苦労されている家族もいましたし、いろんな家族の形をみてきました。
「認知症」というワードはきっかけに過ぎないと思ってます。
大切な人に異変が見え始め、その人を理解しようと思っていて、日頃から相手の立場の立って考える気持ちがあれば、「どうしたのだろう?心配だな、その人の役に立てないか?」などと考えると思います。
でも例えば、姑に異変があり、それに気づいた嫁。嫁いだときからネチネチと言われ続け、夫は仕事に重きを置いておりあまり味方にはなってくれなかった。結局家にいるのは嫁だから、主介護者にならざるを得ないが、もともと意地悪をされていた人を急に介護をしなきゃいけない、優しく笑顔で接しなきゃいけない。なんてできるのだろうか。「認知症のせい」にしたくなるのではないのだろうか。
愛や人としてどう動くのかを試されているような気にさえなります。
私の両親も、決して祖父母と仲の良い方ではなかったと思います。
でも、家で介護を献身的にし続けていたと思います。一方で、「親をみるのは当たり前」と言われたり、身体は元気だったり、取り繕いで会話は結構できたりするので「全然元気そうじゃない」と第三者に言われたり、その頑張りを理解されないことも多いです。
育児もそうですが、子供は可愛くて愛すべきもの、という前提があるので、愚痴がなかなか言えなかったりしますよね。
またそれは、真面目な人に多い傾向がある印象です。
好き勝手に愚痴を言えればよいですが、真面目な人ほど周囲の状況を考えたうえで自分の気持ちを押し殺したりします。
つまりは、真面目な人ほど相手のことを考えて対応されています。一方で、褒められないのです。
そんな、人のために献身的に頑張っている人が評価されない世の中なんて嫌だな、と思い、私は研究やら実践をやっているわけです。
人として、対話する
綺麗ごととは思いますが、それぞれの生き方なんだろうな、と思います。
別に、自己実現のために生きればよいと思いますが、
人とかかわるのであれば自己主張のみならず、相手の立場に立つ、対話をする、それによりお互いに理解し、尊重し合う。それが尊厳だと思っています。
一生一人で生きていければ、勝手気ままにでも良いと思いますが、最終的にはほとんどの方が人の手を借りながら生きていきます。
今まで好きに生きてきて、患ったからと優しくしろ、というのも違和感があります(私は最終的には優しい人間ではないのだな、と思います(笑))。
まあ、考えることができるのが人間なので、人間に生まれた以上は、お互いに理解し、尊重し合う。そんな生き方をしたいな。と思います。
そうしていれば、いざというときに助けてくれる大切な人に囲まれて過ごすことができます。そうならなかったら、相手のことを思っていたつもりがいつの間にか自分のことを思っていたのでしょう。
ただ、それこそ精神や認知機能の病気の影響で相手のことを考えながら生きることが難しい場合もあります。もしかしたら性格?かもしれませんし、人間のことなんてわかってないことの方が多いですし、考え始めたらキリがありません。
なので結局は、対話を続けるしかないのだろうな。と思います。
認知症であろうがなかろうが、そうやって生きてきた人は、周囲の支えを受けながら楽しく、幸せそうに生きています。
どこまでが「認知症のせい」なんでしょうね。
行動・心理症状なんていう、曖昧な概念が存在することが、余計悩ませるのだと思います。
ずっと研究はされているはずですから、どこまでが疾患の影響なのか、はっきりしてほしいものです。
がんばるあなたは素敵です
さて、話が脱線しましたが、
そんな人の気持ちを考え、献身的にされている介護者の方々を私は多くみてきました。
長く付き合っていくためには、介護保険サービスの導入や施設利用も大切と思うのですが、「まだみられる」「私ができなくなったと認めることになる」「家でみることが幸せだから」などと、ためらう家族が多くいます。
当然、ご本人が家で過ごしたいのであればそれも大切ですが、あなたがあってこそのその生活です。
そんな時に、よく言う言葉があるので紹介します。
「きっと今介護を受けている方も、あなたが大変になることは望んでいないのではないでしょうか。専門家が関わり、少しでも変わるのであれば、サービスを利用したり、施設入所を考えることも良いのではないでしょうか。家族介護者は、介護に関わっているだけで100点であり、減点はないのです。 家族なんだからたまには喧嘩もします。なるべく笑顔でいたいけど、怒鳴ることもあります。家族なんですから、そんなに自分を責めないでください。私はそう思います。今日もあなたは素敵です。そんなあなたに、少しでも笑顔の日が増えることを願います。」
人のために頑張るあなたは凄いのです。
おわりに
思うまま書いてきましたが、なんのことを言ってるのかよくわからなくなりました。すみません(笑)
一部、捉え方によっては批判的なこともあるかもしれませんが、あくまで経験してきた中での一意見としてお受け取りいただく、寛大な心を持ってもらえると嬉しいです。
結局は、誰にとっての善か。地球ベースで考えれば、人間そのものが悪かもしれませんし、人間ベースで考えればまた違います。介護者ベースで考えれば、認知症の当事者ベースで考えれば、はたまたそれぞれの一個人として考えれば・・・・。最終的にはエゴだと思いますので、その中でいかに楽しく生きていくか、ですね(笑)
ただの雑記ブログでした。